気付いたこと

選択すること自体に責任が伴うことを肝に銘じたい。
責任があるから償うとか、そういう話ではなくて、選んだ(あるいは選ばないという選択肢を選んだ)ことで導かれたいかなる結果も、自分の選択という行為に起因するものだと覚えておきたい。
選び取らなければ、どんな物も理論も、存在するだけだ。天動説に則って天体観測アプリを作った結果、全然合ってねーぞと低評価食らって、その責任を古代ギリシャ人に求めるようなことを今までしていたわけで。その理論を信じたのは誰か?信じて利用する判断をしたのは誰か?俺です。
選択する覚悟、選択した責任を取ることから今まで逃げ続けていたから、達成感も、信頼も、自信も、何一つ得られずここまできたんじゃないだろうか。ここまで来れてしまったことが一つの悲劇な気もする。どこかで本当に死にそうになってたらもっと早く気づけていたのではないか…と思わなくはないが、過去の仮定の話はしても仕方がない。するなら未来の仮定の話であり、仮説を選び取るにあたっての自分の態度を見定めることだ。

なんだか本筋から逸れてる気がする。プロットづくりができないんだね。
つまり、こういうことに気付いたから、選択とその結果に意識的に注視してみたいということ。結果が良かったときと悪かったとき、それぞれ自分の反応を見て、どういった思考が流れているかを観察したい。まだできないけど、思考の流れ方を変えることで、達成感やら何やらが得られるようになるなら、そう変えたい。そんな話がしたかった。